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スコーピオンズ(Scorpions)は1965年に結成され、1972年にデビューした、ドイツを代表するハードロック・ヘヴィメタルバンド。ロシアで親善大使として迎え入れられていることで有名である。 皆さん、こんにちは 非常にショッキングなニュースが発表されました、 40年以上にもわたり活動を続けているスコーピオンズが解散宣言を発表しました。
内容はニューアルバムを発表して世界ツアーをして解散するとのこと ツアーの最終は2012年を予定しているそうなので まだまだ先の事なんですけどね。
流れ星は初来日から思い出すと計7ステージ見てますが懐かしい思い出が 走馬灯のように思い浮かびます
初来日は学生服を着て「荒城の月」を歌った事とか 灼熱のスーパーロック84のステージ、マイケルシェンカーとアコースティクでの共演 どれも懐かしい思い出ばかりです。
もっと続けてほしいですが、最高のアルバムと最高のライブで最後を締めくくるのも 英断ではないかと思います。
スコーピオンズたくさんの楽しい思い出をありがとう!! 
続きからメイン記事となります、、注意事項を了解されましたら覗いてくださいね、有難うございます。 
本国のドイツはもとより、アルバム『蠍魔宮〜ブラックアウト - Blackout - 』以降、世界的な人気を得、日本では英米のバンドと同等の影響力がある。だが、スコーピオンズ登場前のドイツは、ロック不毛の地と呼ばれるほど、スター・アーティスト不在の状況であった。スコーピオンズは、ドイツのミュージック・ビジネスを活性化した原動力であり、HR/HMのカテゴリーを超えた、ジャーマン・ロックの始祖とも言える存在。
略歴 1965年にルドルフ・シェンカー(1948年8月31日、ハイルドシェイム生まれ)が、バンドを結成。メンバーは、ルドルフ・シェンカー(vo.g.)とカール・ハインツ・ヴォルマー(g.)、ウォルフガング・ズィオニー(ds.)、アチィム・カーチョフ(b.)の4人組。
1971年初頭に、解散したバンド、コペルニクスのマイケル・シェンカー(g.)とクラウス・マイネ(vo.)を加え、アチィム(b.)と交代したローザー・ハインベルグ(b.)での、6人構成となる第1期スコーピオンズのラインナップで、ドイツのメトロノーム傘下のブレイン・レーベルと契約。 Wind Of Change
1972年に、コニー・プランクのプロデュースで、デビュー・アルバム『恐怖の蠍団 - Lonesome Crow - 』を発売。プログレッシヴ的なサウンドの作品であり、ハード・ロックとは言えない作りは、プロデューサーの志向だと思われる。同年ユーライア・ヒープ、ロリー・ギャラガー、UFOなどのサポーティング・アクトとして、西ドイツ国内ツアーを行う。サーキット中に、UFOのミック・ボルトンが失踪し、急遽代役ギタリストを務めたマイケル(g.)がUFOに移籍。
1973年6月、ローザー(b.)とウォルフガング(ds.)が脱退。一時活動停止を余儀なくされる。
1974年、オーディションにより、ウルリッヒ・ロート(g.)とフランシス・ブッホルツ(b.)、ヨルゲン・ローゼンタル(ds.)がメンバーに決定。RCAレコードと新たに契約し、11月に、移籍第1弾となるアルバム『電撃の蠍団 - Fly To The Rainbow - 』を発表。
セルフ・プロデュースの本作は、ウルリッヒのギターをフィーチャーしたハード・ロック色が濃く、以降のサウンドの基礎となる作品となった。1年半ぶりのツアーで、夏のドイツ国内をサーキット中に、ヨルゲンが脱退。ルディ・レナーズ(ds.)を加えて、ベルギーとフランスで国外ツアーを行う。その後、スウィートのサポーティング・アクトで、北欧をツアー。この時、後に6人目のメンバーと呼ばれ、長年作品を手掛けることになるプロデューサー、ディーター・ダークスが自らプロデュースを申し出て、新作のレコーディングに着手する。
1975年、アルバム『復讐の蠍団 - In Trance - 』を発売。プロモーションの一貫として、ロンドンのマーキー・クラブで、イギリスでのデビュー・コンサートを成功させる。キッスのサポーティング・アクトとして、西ドイツ国内ツアーを行う。ドイツの音楽誌での人気投票で、グループ部門3位を獲得。
1976年11月に、『狂熱の蠍団〜ヴァージン・キラー - Virgin Killer - 』を発売。メロディ・ラインに哀愁を帯び、ハード・ロックの様式美を前面に出した作品で、バンドの代表作となった。
1977年の全英ツアーは規模を拡大し、ホール・クラスでのバンドに昇格するが、ルディが心臓病を患い脱退。後任のハーマン・ラレベルが参加し、5作目のアルバム『暴虐の蠍団 - Taken By Force - 』を発売。
1978年に来日。4月25日の東京から26日の大阪まで、5回の公演は全てソールド・アウトし、日本での人気の高さが証明された。 中野サンプラザでの2ステージをレコーディング、同年8月に、初のライヴ・アルバム『蠍団爆発 - Tokyo Tapes - 』として発売される。この後、ウルリッヒは、バンドがコマーシャルな方向に向かっていることを理由にバンドを脱退。バンドは、イギリスの音楽誌「メロディ・メイカー」紙に募集告知を掲載し、約140名をオーディションするが、後任は見つからなかった。改めてドイツでメンバーを探し、地元のハノーファーで、マティアス・ヤブス(g.)を3代目ギタリストに迎える。 Blackout
1978年9 月、新ギタリスト披露のため、ドイツで開催の「サマータイム・オープン・エアー・フェスティバル」出演。ニューアルバムのレコーディング直前、アルコールとドラッグの併用で精神的な支障をきたし、UFOから失踪・脱退していたマイケル・シェンカー(g.)を、ルドルフとクラウスが迎え、レコーディングに参加。

1979年4月、6人編成で制作されたアルバム『ラヴドライヴ - Lovedrive - 』を発売。同編成で、3月23日のマルセイユから開始したヨーロッパ・ツアーは好評を博し、マイケルの完全復帰を思わせたが、ケルン公演直前にマイケルが倒れ、バンドから離脱。日本で2度目の来日公演が決定していたが、マイケルの登場はなかった。6月3日からジャパン・ツアー。8月にテッド・ニュージェントのサポーティング・アクトとして初の全米ツアー。同8月にイギリスのレディング・フェスティバルにシン・リジィの代替でヘッドライナーとして出演。同12月、RCA時代4枚のアルバムの中から11曲をセレクトし、初のベスト・アルバム『蠍団伝説〜スコーピオンズ・ベスト - BEST OF SCORPIONS - 』を発売。 Rock You Like a Hurricane
1980年5月に、『電獣〜アニマル・マグネティズム - Animal Magnetism - 』を発売。イギリスでのNWOBHMムーヴメントを契機とした、ヘヴィメタルシーン活性化を受け、レインボーやジューダス・プリーストなどと共に、第1回モンスターズ・オブ・ロックに参加。前年の続編となるベスト・アルバム『蠍団帝国〜スコーピオンズ・ベストII - SCORPIONS BEST2 - 』を発売。
1981年、クラウス(vo.)が声帯を痛め、医師に1年間の静養を言い渡された。バンドは一部録り終えていたレコーディング作業を一時中止し、静養期間とした。休止期間には、ハーマン(ds.)がソロ・デビュー・アルバム『奇襲攻撃 - Nip In The Bud - 』を製作している。
1982年3月に、『蠍魔宮〜ブラックアウト - Blackout - 』を発売。2年振りのこのアルバムは全英11位、全米10位の売り上げとなり、最強のライヴ・バンドと評されながら、セールスが反映されなかったアメリカ・マーケットで初のビッグ・ヒットを記録。4月に、同アルバムのプロモーション・ツアーをイギリスからスタート、アメリカや日本などをサーキットする。
1983年5月に、アメリカのサン・バーナディーノで開催されたUSフェスティヴァル、同年12月に、ドイツのロック・ポップ・ヘヴィ・メタル・スペシャルに出演。同年10月に、イギリスのロンドン・ハマースミスオデオン劇場で行われたM.S.G.のライヴに、ルドルフとクラウスが飛び入り参加し、ファンを沸かせた(このライヴの模様を収めたライヴ・アルバムとライヴ・ビデオが、翌年にM.S.G側から発売されている)。
1984年3月に、『禁断の刺青 - Love at First Sting - 』を発売。8月に、日本初のヘヴィ・メタルのビッグ・イベント「スーパー・ロック '84 イン・ジャパン」に、ホワイトスネイクやマイケル・シェンカー・グループ、ボン・ジョヴィなどと共に出演。
1985年1月、初の日本武道館公演を果たし、同年のジャパン・ツアーと6月のイギリスのネブワース公演後、2枚目のライヴ・アルバム『ワールド・ワイド・ライヴ - World Wide Live - 』を発売。若干の充電期間と発表し、しばらくの間表立った活動を停止する。
1988年5月に、4年ぶりのアルバム『サヴェイジ・アミューズメント - Savage Amusement - 』を発売。ペレストロイカ最中のソビエト・レニングラード(現ロシア連邦・サンクトペテルブルク)でコンサートを行う。
1989年8月、前年のコンサートが契機となり、歴史的イベントとなった、モスクワ・ミュージック・ピース・フェスティヴァルが開催。ボン・ジョヴィをメイン・アクトに、スコーピオンズやオジー・オズボーン、モトリー・クルーなどが参加した。付随したチャリティー企画で、アンチ・ドラッグ/アルコール・キャンペーンのオムニバス・アルバム『メイク・ア・ディファレンス - Make A Difference - 』が発売され、スコーピオンズは、ザ・フーのカヴァー「アイ・キャント・エクスプレイン - I Can't Explain - 」が収録された。

1990年「ベルリンの壁崩壊」の年7月に、そのベルリンの壁の前で行なわれた、元ピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズ主宰による「ザ・ウォール・ライヴ」に参加。演奏は、『ザ・ウォール ライヴ・イン・ベルリン - The Wall Live In Berlin - 』として発売された。 11月に、アルバム『クレイジー・ワールド - Crazy World - 』を発売。 このアルバムは、長年のプロデューサーであるディーター・ダークスに代わり、キース・オールセンがプロデュースを務めている。「ウィンド・オブ・チェインジ - Wind of Change - 」がシングル・カットされ、全米第4位、全英第2位を記録するビッグ・ヒットとなった。その後、印税のトラブルから、ベーシストのフランシス・ブッホルツ(b.)が脱退する結果となる。
1992年の活動は無く、1993年には、ラルフ・リーカーマン(b.)を迎え、9月にアルバム『フェイス・ザ・ヒート - Face the Heat - 』を発売。
1994年1 月の来日公演は、 M.S.G.に終止符を打ったマイケル・シェンカーがスペシャル・ゲストで参加し、アコースティックで夢の共演を実現させた。しかし、この時期に70年代からのメンバー、ハーマン・ラレベル(Ds.)が脱退。ライヴでは、カート・クレスやピティ・ヘチットがドラマーとして参加、ルーク・ヘルゾッグやコーエン・ヴァン・ベイルといったキーボード奏者も参加していた。
1995年、ライヴ・アルバム『ライヴ・バイツ - Live Bites - 』を発売。
1996年、デビュー25年を迎え、イースト・ウエスト・ジャーマニーと契約。5月に、レーベル移籍第1弾アルバム『ピュア・インスティンクト〜蠍の本能 - Pure Instinct - 』を発売し、活動を再開。
1997年にベスト・アルバム『蠍の刻印〜マーキュリー・イヤーズ:ベスト・オブ・スコーピオンズ - DEADLY STING:The Mercury Years - 』を発売。 Send Me An Angel
1999年4月、3年ぶりのアルバム『アイ・トゥ・アイ - Eye II Eye - 』発売。オーストリア人のピーター・ウルフ(ジェファーソン・スターシップやハートのプロデューサーとして知られる)プロデュースで制作されたこのアルバムは、コンピューターを導入し、ハードロックやヘヴィメタルの枠を超越したアプローチを展開。同アルバムのレコーディング中に、ラルフ(b.)が脱退。ジェイムス・コタック(Ds.)が、一時参加で製作されている。
2000年ドイツ、ハノーヴァーで開催されたEXPO2000のテーマ曲を担当し、「モーメント・オブ・グローリー」を発表。同年夏に、その曲も含み、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との共演によるアルバム『栄光の蠍団〜モーメント・オブ・グローリー〜 - Moment of Glory - 』を発売。
2001年2月9日に、ポルトガル・リスボンでアンプラグド・ライブを行い、7月に『アコースティック・ライヴ - Acoustica - 』として発売。
2004年『反撃の蠍団 - Unbreakable - 』を発売。
2007年『蠍団の警鐘 - HUMANITY HOUR 1 - 』を発売。
2010年1月24日に、制作中である次回作アルバム『Sting in the Tail』がバンドの最後のアルバムになり、アルバムに伴うツアーが最後のツアーになるだろうと公式サイトで発表された。そのツアーは2012年に終了すると予想されている。
(Wikipedia)
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